2016年12月25日日曜日

桜房 SAKURANBOU(パン屋さん その1)

本日は、新町のぱん屋さん
「桜房 SAKURANBOU」(さくらぼう)へ来てみました。

東京街道を市街に向かい、不動前を左折し、不動前通りを進みます。

 

ここは、「旧日光街道」「旧奥州街道」追分らしいです。



「不動堂」があり、通りの名前になっています。

 

 

少し進み、東武宇都宮線のガードをくぐります。



くぐると、すぐ右側に「蒲生君平勅旌碑」がありました。
明治2年、明治天皇が宇都宮藩知事に建碑を命じたみたいです。

 

蒲生君平先生の旧姓は、「福田」さん! w(o)w
でした。
 

すぐ先を左折し、「南宇都宮駅前通り」を入り、右側です。

 

ここ!です。

 

「3周年」らしいです。
名前は、ご主人の話ですと、
新川の桜「桜」工房「房」からとったそうで、
「桜房」(さ・く・ら・ん・ぼ・う、と読むそうです。)



ちなみに、店内でコーヒー等が飲めます。
以上!







2016年12月8日木曜日

戸祭配水場(水道山)・第六接合井

本日は、「水道山」の愛称で親しまれている「戸祭配水場」に来てみました。
大正2年(1913年)に着工し、大正5年(1916年)から給水を開始
した水道創設当時の施設だそうです。



階段は約140段です。
夕方になると、運動部の多くの学生さん達が、鍛えに来るとか・・。
とりあえず、昇ってみます。( ̄ヘ ̄;)


 

昇ると、こんな光景です。

 

反対側の市内西側の風景です。



現在は、平成8年(1996年)に高架水槽が完成し、こんな感じです。



「戸祭配水場」といえば・・・
今市浄水場から日光街道沿いに埋設された送水管26km、高低差240mある
戸祭配水場まで送る際、送水管にかかる水圧を弱めるために建設された「接合井」
があり、「第六号接合井」だけは、創設当時のままの姿だそうです。

 

 

ちなみに「下徳次郎バス停」のすぐ近くです。



以上!

2016年12月4日日曜日

戸室山地下工場跡入り口・戸室(山)神社

本日は、第二次世界大戦末期、旧中島飛行機宇都宮製作所が、空襲を避けるため
大谷の「山」の地下採掘場跡に工場を作り、「疾風」の生産を開始したといわれる
工場跡入り口を捜しに来ました。

目的地は「山」ということなので、車を「城山地区市民センター」に駐車して出発です。

 

大谷街道を大谷方面に数十メートル進むと、左に曲がる道があります。

 

すぐに左手に「タイ国のお寺」が見えてきます。



お寺を左に見ながら直進すると橋が見えてきます。
情報によると、橋を渡ったら右折らしいです。その後、未舗装を直進です。

 

約30メートル程進むと、右手に祠があります。



反対側からみると「はしご」がかけてあります。



道路を挟み、その反対側をみると、発見です!
「戸室山地下工場北入口」跡です!



立ち入り禁止の標識があるので、カメラを「ズーム」してみました。
「海軍を表す錨(いかり)のマークと遂道と刻まれた文字」
が確認できます。




この「戸室山」の南側に「戸室(山)神社」があるらしいので行ってみます。
先ずは、先ほどの橋まで戻ります。

橋からしばらく進むと、Y字路があります。そこを右に進みます。



坂を登り、直進すると、右手に「戸室山」が見えてきます。

 

もうしばらく進むと、右にカーブしてきます。



カーブが終わると直進です。
見えてきました。鳥居のようです。



「一の鳥居」です。よく見ると「六角形」です。

 

「二の鳥居」です。額には「戸室山神社」の文字が・・。

 

急な石段を昇ると「狛犬」が見えてきます。
この石段は山を削って作ってあるみたいです。

 

参道の階段の途中にこの時期に「あじさいの花」が、w(o)w
咲いていました・・。



「拝殿」です。

 

拝殿の脇にスズメバチの巣を発見です。
今の時期、越冬中と思いますが、静かに退却です。



拝殿の中の額には、「戸室神社」の文字が・・。
天狗の面?らしきものがありました。

すぐ近くの「大谷の平和観音」近くにある「天狗の投げ石」は、この天狗さまが
投げたのでしょうか・・?

 

ちなみに、こちらが「大谷平和観音」

 

と、「天狗の投げ石」



話は戻り、「本殿」です。



元は、「鳴雷神社」だったそうで、明治維新後に「戸室神社」改称したみたいです。
栃木県神社誌にも記述されているみたいです。
境内の石碑をみると「戸室山鳴雷神社」の文字が確認出来ます。



「拝殿」より見下ろすとこんな感じです。



ちなみに、境内から南側の景色です。



以上!