2016年5月19日木曜日

守勝神社(刀を作った鍛冶場の跡)

栃木県指定になっている「守勝銘の刀」
この守勝が宇都宮にいた鍛冶場の跡があるとの情報を入手したので、
早速、探検に行ってきました。

この畑の奥です。



近年に整備されたのでしょうか。
新しそうです。

 





この辺りは、多くの砂鉄が産出し、良質の粘度や水にめぐまれていたそうです。
現在は、守勝神社が建てられています。

神社も新しいみたいです。





以上!

亀井六郎のお墓

本日は、源義経の重要な家来であり、「亀井の水」では、槍で突いて、湧き出した
水を静御前に飲ませたという、「亀井六郎」。
その彼のお墓が、宇都宮にあるというので、早速、探検に行ってきました。

情報は、旧日光街道、晃陽中学校の西側、伝法寺近く、ということです。

ここが旧日光街道らしいです。



σ( ̄、 ̄=)ンート・・・???

偶然、通りかかったご近所の方にお聞きしましたところ、
街道沿いではなく、こちらの入江林産さんの駐車場の中にあるらしいです


 

この重機のアームの向こう側にあるとのことです。
道路からでは、まったく、わかりません。



ついに、発見です!



もうちょっと近づいてみました。



以上!





 

2016年5月5日木曜日

亀井の水(「おしどり塚」につづく、懐かしいシリーズ・パート2)

本日は、「亀井の水」に行ってきました。
この旭中学校西門脇から不動前郵便局へ抜ける街道は、ちょくちょく利用
するのですが、足を止めたのは、数十年ぶり?です。
懐かしいです。



「大きい亀」がいたから「亀井の水」ということではありません。



「源義経」が奥州平泉に落ちて行った後を「静御前」が奥州へ向かう途中、
この辺で足取りが重く、喉の乾きもひどくなり、水をもとめたとか。
おともの「亀井六郎」が、神仏にに祈り、槍をつきさしたところ、
水があふれでてきて、それを「静御前」は口にすると元気を取り戻し、奥州に向け
再出発した、という伝説です。
おともにはもう一人、「駿河次郎」という人がいたそうです。

ちなみに、この「亀井六郎」の墓があるらしい・・との情報もあるので、
後に探検に行きたいと思っています。

実際には、「宇都宮城」は上からみると「亀」の形に似ていて、この辺が「亀」の
尻尾にあたるので、この湧き水を「亀井の水」と名づけられたということです。



また、江戸時代から、宇都宮の人々に親しまれた名所の「七水」の
一つなのだそうです。


 オオーw(*゚o゚*)w 現在も水が湧き出ています!
(゚ー゚*?)オヨ?



「七水」とは、「亀井の井」・「池の井」・「馬場の井」・「明神の井」
・「滝の井」・「東石町の井」・「天女水」だそうです。

「七水」の詳細は、

こちら、七水

を参照してみてください。

「七水」の他にも城下町宇都宮の名所として、「七木」、「八河原」といわれて
いるものがあるそうです。

以上!


2016年5月1日日曜日

六道の辻

本日は、戊辰戦争の時に宇都宮城を巡って攻防戦があり、激しい戦闘があった
場所「六道の辻」に行ってみました。
旧幕府軍の斉藤一率いる新撰組、永倉新八率いる靖共隊が、激戦の末、
敗退した地だそうです。
詳細は、割愛しますが、宇都宮藩の部隊長の戸田三男、有志によって
「戊辰役戦士墓」をたてたそうです。

六道の辻です。奇麗に整備されていました。




「六道」といっても現在は、道が6本ある訳ではないようです。
もともと六つの辻に分かれていたところで、旧楡木街道、旧栃木街道等が
合流する交通の要衝だったみたいです。

旧楡木街道です。



こちらは、六道通り、旧栃木街道みたいです。


こちらは、「六道の辻」のちょっと東側の西軍の戦死者が葬られた「報恩寺」です。


ここより東側を眺めると、「宇都宮市役所」が見えます。
つまり、この辺は「宇都宮城」の西側にあたります。


「六道の辻」すぐ近く(西側)には、「六道厄除 閻魔堂」がありました。
仏教でいう六道(地獄道・餓鬼道・畜生動・修羅動・人間動・天上動)に
なぞらえてつけられたものだそうです。


以上!