2016年4月24日日曜日

男抱山(おただきやま)

男抱山には、「男抱山物語」という物語が伝えれています。
江戸時代に白沢宿に住んでいた「きし江」という乙女と、
徳次郎の西根に病気療養に来ていた江戸の「勘九郎」の悲恋の物語です。

「勘九郎」は江戸に妻子を残して来ていた身だったらしく、
「きし江」が毎日3里の距離を会いに来るのが不憫に思い、
「きし江」が書いた恋文を燃やす煙(サイン)を「男抱山」から
「勘九郎」が見て気持ちを確認すると、提案したそうです。

一説によると、『この煙(サイン)』が、江戸時代前より、愛情を表現する、
仕法みたいです。

その行為を「きし江」の姉が知り、恋文を水にそそいでしまい、
そのために、煙の色が変わり、「きし江」の気持ちが変わったと
「勘九郎」は判断し、「きし江」の将来も考えて、江戸に帰ってしまいました。
「きし江」は、「男抱山」に駆けつけるも時既に遅し、食事も喉を通らずに
「男抱山山頂」の露とはかなく消えたそうです。
そのような「きし江」の純情に同情した村人たちが、山頂に社を建てて
弔ったそうです。

まぁ、昔の物語ですから。今なら「不倫」だとかで炎上です。

物語はさておき、頂上目指して出発です。



しばらく進むと、分岐路がありました。
もちろん、男抱山です。



途中、台風か大雨のためか倒木で祠が崩壊していました。
かなりの歳月が経っているように思えます。



山頂ちょっと手前に祠が!村人が建てた社は?これかも?!です。
でも、ちょっと新しいです。



ついに山頂です!
う〜ん・・、ここから「きし江のサイン」を確認していたのか・・
ロマンを感じます。



360度見渡せる展望です。



こちらは、山頂近くの「バランス岩」



以上!

旧道 鞍掛峠

本日は、宇都宮市新里町と日光市猪倉を結ぶ新里街道(県道22号線)の
旧道の鞍掛峠に行ってきました。
現在は、平成9年に鞍掛トンネルが開通し、使われていないらしいです。



トンネル手前の栗谷沢ダム。
昭和19年に大谷石採掘場跡に建設した、中島飛行機製作所の一部門の
三鷹エンジン地下工場の工業用確保の貯水池として計画されたものらしいです。
昭和20年3月から完工を急いだが、同年8月の終戦となったため工事は中止。
しかし、地元民の灌漑用水池にとの熱望で昭和21年に完成したらしいです。

ちなみに、昔は「新里ダム行き」のバスがあったような記憶があります。



栗谷沢ダムを後に旧道へ出発。



左手に鞍掛トンネルが見えます。



廃道のわりには車の通っている様子がうかがえます。
山菜を採りに来ている車もありました。



途中に「石碑」がありました。
「くらかけとうげ かいさくきねん」と書いてあります。
当時は、重要な「道」だったと思います。



峠の道祖尊がみえてきました。



峠に到着です!
数十年前には、祠はなく道祖尊のみでした。



祠の中には、白い道祖尊が・・、昔は黒色だったような(・・。)?

管理者です。



ここから先は、旧今市市(現日光市)。歳月の流れを感じます。
木の枝で見づらいですが、手前は宇都宮市の文字。



日光市側トンネル口付近に到着です。



帰りはトンネルを通って戻りました。



以上!



2016年4月21日木曜日

おしどり塚(懐かしいシリーズ・パート1)

本日は、数十年ぶり?に「おしどり塚」に行ってきました。
大町通りから入ってみると、「おしどり塚公園」の文字が。




説明板に物語は書いてありますが、同様の物語は全国に伝わっていて、
佐野市にも「おしどり塚」があるみたいです。
無住法師は、宇都宮に来たといわれているみたいです。



おしどり塚です。懐かしいです。



隣には、勤王志士 児島強介誕生地の石碑がありました。



石町通りの入り口は2カ所あったのを覚えていました。




石町通りといえば、かつてここに県内大手の「英学塾志学館予備校」が
ありましたが、現在は、コインパーキングになっていました。
歳月の流れを感じます。



隣の「おそば屋」さんは健在です。



以上!



2016年4月17日日曜日

一等三角点と栃木県内唯一の天測点

その場所は、
八幡山公園です!
幼少期より何度か八幡山公園来ていますが、一等三角点と天測点の存在は、
知る由もありませんでした。 r(・_・;)

道標です。



山頂口には、鳥居がありました。



左側に祠跡? 中央に一等三角点 右側に天測点







東側の展望です。



ちなみに、「宇都宮タワー」です。



こちらは、幼少期には無かった「アドベンチャーブリッジ」です。
ブリッジの先には公園がありました。



こちらは、おなじみの「ひょうたん池」です。小学生の頃によく釣りにきました。
今は柵もあり、奇麗に整備されていました。



以上!


2016年4月10日日曜日

蒲生神社 宇都宮市

蒲生神社を参拝です。江戸時代、宇都宮生まれの学者 蒲生君平先生を
祀っています。「前方後円墳」の名付けの親らしいです。



蒲生神社表参道鳥居の手前、右脇に「雷神社」が・・
歳を重ねると見える世界が変わるということでしょうか。
存在を初めて知りました。




何とも言えない雰囲気です
6世紀前半頃造られた古墳(御蔵山古墳)のあったところらしいです。



戻って、再び階段を昇ると境内です。桜が奇麗です。




蒲生神社です。学問の神 御柱もありました。穴に鉛筆を通すと学業が向上
するとのことです。



境内には、初代横綱明石志賀之助の碑がありました。宇都宮の出身らしいです。



以上!