2017年11月16日木曜日

橋潜り地蔵(はしくぐりじぞう) 宇都宮市新里町

本日は、「お願い地蔵」、「痣(あざ)地蔵」に続き、
「橋潜り地蔵(はしくぐりじぞう)」を確認に行って来ました。
シリーズ化した訳ではないのですが・・・。

鞍掛山の頂上にあったものを天狗が今の場所に移したという伝承があるそうです。
また、「はしか地蔵」とも呼ばれ、はしかにかかった者を堂の前の橋をくぐらせると
なおると言う伝えもあるそうです。
詳細は、こちらをご覧ください。
医療の発達していない時代に頼るものは、神や仏だったのでしょう・・・。

県道22号線(大沢 宇都宮線)を市街から大沢に向かいます。
道の駅うつのみや ろまんちっく村を右手に見ながら直進です。

 

ゴルフ場入り口を通りすぎると、ゴル場の陸橋が見えてきます。

 

陸橋を過ぎると、右手に何か見えます。



お堂です。手前に石碑ありますが、風化が激しく判読できません。

 

「橋潜り地蔵堂」です。

 

お堂の前に「御詠歌」があります。
「はるばると ちかいをここに地蔵尊 はしかかるくと 橋くぐらん」



「橋潜り地蔵」です。



橋は、これ?でしょうか? 「はしかにかかった者を堂の前の橋をくぐらせる・・・」
しかし、お堂の脇だし・・・。



お堂の前の県道沿いにもありますが、こちらはコンクリート製だし、
この県道も旧道ぽくないし・・・。



地蔵堂はおおよそ、南を向いているようです。



「日光東照宮の神橋と直角をなしている・・・」というと、やはりこちらかも?



はしかが流行すると、この地蔵堂で「自性院」が出張してお札が売られたそうです。
「自性院」に行ってみます。
県道22号線(大沢 宇都宮線)を宇都宮市街方面に戻り、信号を右折します。

 

沢自治会の公民館を右手に見ながら、道なりに進みます。

 

左に大きくカーブし、その先のカーブミラーを右折です。

 

左側にはゆず畑です。



本日のベスト・ショットです。



そのまま道なりに進むと、右手にお寺らしき建物が見えます。

 

「自性院」です。

 



「新里」と言えば、「新里ねぎ」と思っていましたが、
先日の地元の新聞に地域ブランド「宮ゆず」として売り出している記事が
掲載されていました。
県道22号線(大沢 宇都宮線)沿いに「ゆず直売所」があります。
看板もあります。

 

こちらは、「ねぎ」畑です。



以上!





2017年10月26日木曜日

痣(あざ)地蔵 宇都宮市徳次郎町

今年の6月に「お願い地蔵」を調べていた時に、徳次郎町に「痣(あざ)地蔵」
あることを発見をしました。
すっかり秋も深まり、多少歩いても汗だくにならない季節になり、
また、久しぶりに晴れたので、徳次郎町の「痣(あざ)地蔵」を確認に行って来ました。

日光街道を宇都宮市街から日光に向かい、「富屋地区市民センター」の歩道橋を
通り過ぎます。

 

すぐに「徳次郎交差点」の道標が見えます。



300mで「徳次郎交差点」です。この国道293号線を左折します。
左折して進むと「道の駅 うつのみや ろまんちっく村」まで2㎞みたいです。

 



この交差点「徳次郎」



「と・く・じ・ら」ではなく、「と・く・じ・ろ・う」です。
元々、両方の読み方があったらしく、私は、「とくじら」派です。

1954年に徳次郎町のある旧富屋村を含んだ1町10村と宇都宮市が合併した際、
町名のふりがなが「とくじろう」と告示されているそうです。
しかし、日光宇都宮道路の徳次郎I.C.も昭和51年には、「とくじら」となっていた
そうですが、平成20年に管理が日本道路公団から栃木県道路公社に移管になつた
のを機に「とくじろう」に変更したそうです。

話はそれてしまいましたが、「徳次郎交差点」を左折してすぐに右斜めに入る道が
あります。



入ると、すぐに右側にお堂が見えます。



「痣(あざ)地蔵堂」です。

 

由来が書いてありますが、ちょっと文字が判読できませんが、
中徳次郎町の土中から開墾の際に発見され、智賀都南広場に安置した後、
元神宮寺と云われた石屋根のお堂に遷座されたそうです。
この地蔵は、「あざ」、「いぼ」で困っている人が地蔵尊にお願いすると
不思議に治ると云われ、近村は勿論のこと遠くは東京・福島・群馬方面からも
お参りする人も多数いらっしゃったみたいです。
その後、二転三転した様子で、現在の場所には、平成6年12月に建立されたそうです。

 

「痣(あざ)地蔵」です。



「道の駅 うつのみや ろまんちっく村」方面から来ると、
「徳次郎郵便局」の先を左折です。



以上!








2017年9月24日日曜日

謎の階段(宮環沿い)と長岡百穴 宇都宮市長岡町

本日は、宇都宮環状道路(通称;宮環)沿いから、
信号待ちをしている時に偶然に見つけて以来、ずっと気になっていた、
「謎のコンクリート階段」
ここしばらく、天気が悪かったり、県外へ遠征していたりで、すっかり探検が
ご無沙汰でしたが、確認に行って来ました。この階段です!

 

宮環を帝京大学入り口から日光街道に向かい、「長岡百穴」を通り過ぎ
進むと、

 

ちなみに、こちらが「長岡百穴」です。



左側の雑木林の中にちょっと目立たない感じの「沖釣り海遊倶楽部」の看板
があります。その看板を通りすぎ、



「長岡交差点」のちょっと手前です。

 

昇って見ました。

 


獣道らしきものが、宮環に沿って伸びています。側溝らしきものが確認できます。
(勝手な想像ですが、この辺りの部分の宮環は、雑木林を切り開いて通したと考えられる
ので、この獣道らしき道は、工事用の道では?と思いますが・・・。)



真っ直ぐ進むと、ここの造成された所に出てくると思われます。
「長岡交差点」の元ファミリーマートがあった所です。
この造成地の脇にも同じようなコンクリートの階段があります。

 

もう一本、雑木林の中に伸びていました。おそらく、方角的に「長岡公園」
の方向に続いていると思われます。
この時期はスズメバチが・・・脳裏を横切ったため、本日は、ここまで、としました。
後で再チャレンジしてみたいと思います。



「長岡交差点」の先、現在は、「日光宇都宮道路」の立体交差化の工事中です。



先ほどの、「長岡百穴」に戻ります。
「長岡街道」沿いになります。複数の案内板がたっています。
「豊郷まほろばの道」というものがあるようです。

 



正式には、「長岡百穴古墳」というらしいです。栃木県指定跡です。
東群に44基、西群8基の52基あり、全て南を向いて開口しているそうです。

 

穴の中には観音像が彫ってありますが、これは、後に彫られたようです。
また、これらに関する民話が4つほどあるそうです。
詳細は、「栃木県教育委員会のとちぎふるさと学習」をご覧ください。

 

東群と西群の中央には、「百穴観音堂」があります。

 

西側には、「放庵歌碑」があります。ちょうどトンボがとまっていました。

 

東側には階段があり、昇ると「祠」がありました。

 

駐車場やトイレが整備されていて、見学に来ている人たちがいました。

 

場所は変わり、宮環を挟んで反対側に結婚式場があり、その東側に
「太子堂」があります。



 



お堂の厨子の中には、聖徳太子像が祭られているそうで、33年に一度、
ご開帳されるとのことです。

以上!