本日は、「稚児ヶ坂」と「白沢地蔵堂」に行ってきました。
通称「白沢街道」と呼ばれている「王子板紙(株)日光工場」近くの
「坂」での話です。
建久2年(1191年)、伊沢家景が、源頼朝にかわり、陸奥の国を治める
奥州総奉行に任ぜられ、大勢の部下、妻、さくら姫、きく丸という幼い子を
連れて、鎌倉をたち、奥州を目指しました。
宇都宮まで来ると、きく丸は、発病をしてしまい、「この街道坂」で、
きく丸の症状が悪化し、命を絶ってしまいました。
きく丸のなきがらは、家景一同や里人達によって、厚く街道坂の上に葬られ、
供養されました。
里の人達も、このことに深く心を痛め、誰いうとなく、きく丸の亡くなった
「坂」を「稚児ヶ坂」と呼ぶようになったようです。
現在も「坂」は健在のようです。
付近のバス停名は、「稚児ヶ坂」です。
もうしばらく、旧白沢宿に向かうと、きく丸のなきがらを葬ったとされる
「五輪塔」が「白沢地蔵堂」にあります。
その手前に「勝善神」の碑がありました。
「馬の神様」?みたいです。
「白沢地蔵堂」です。説明板もありました。
その「五輪塔」です。
文献によると、墓ではなく、供養塔らしいです。
ここよりこの坂をくだると、「旧白沢宿」です。
「旧白沢宿」をめざします。