2017年3月9日木曜日

奥州街道白沢宿 白髭神社

「白沢地蔵堂」から「白沢宿」に向かうと、すぐに
旅人目印となった「大榎(おおえのき)」が目に止まります。
「白沢宿の入口」らしいです。



そのちょっと手前にに「やげん坂」の案内板がありました。



こちらを登ってみます。



このようなものがありました。




さらに進むと、「白髭神社」の裏手に到着です。



先ほどの「大榎(おおえのき)」からさらに坂をくだると丁字路になります。
「白沢宿交差点」です。

 

右側は、「岡本街道」です。



「岡本街道」に入り、直ぐに左折すると、「カッパ伝説」の「万年橋」がるようです。



この先みたいです。



見えてきました。ここが「カッパ伝説」の「万年橋」です。
周りには住宅もあり、現在は「カッパ」の出る雰囲気は・・・といったところです。

 

 

先ほどの「白沢宿交差点」に戻ります。
左折すると、「旧白沢宿」「まちなみ」です。



さらに進むと、「鳥居」がみえます。「水車」も見えます。

 

こちらが、「白髭神社」「一の鳥居」です。



「二の鳥居」は、坂の上です。
83段の石段らしいです。

 

「石段改築記念碑」がありました。



「手水舎」です。



「拝殿」です。
慶長年間に近江国の白髭神社の分霊を勧請して、創始されたようです。

 

「本殿」です。



「二の鳥居」から鬼怒川方面の景色です。

 

階段を降り、再び、宿の街道に戻ります。
「白沢宿」の案内板がありました。



江戸より三十里みたいです。



こちらは、「本陣」の宇加地家です。

 

バス停名は、「白沢宿」です。



こちらが、奥州からの「白沢宿の入口」です。

 

河内郵便局です。



更に西鬼怒川方面に進むと「江戸時代の鬼怒川の渡し跡」があります。

 

ここが「江戸時代の鬼怒川の渡し跡」のようです。



その先に進むと、「白沢の一里塚址」があります。

 

 

以上!





稚児ヶ坂と白沢地蔵堂

本日は、「稚児ヶ坂」「白沢地蔵堂」に行ってきました。

通称「白沢街道」と呼ばれている「王子板紙(株)日光工場」近くの
「坂」での話です。

建久2年(1191年)、伊沢家景が、源頼朝にかわり、陸奥の国を治める
奥州総奉行に任ぜられ、大勢の部下、妻、さくら姫、きく丸という幼い子を
連れて、鎌倉をたち、奥州を目指しました。
宇都宮まで来ると、きく丸は、発病をしてしまい、「この街道坂」で、
きく丸の症状が悪化し、命を絶ってしまいました。
きく丸のなきがらは、家景一同や里人達によって、厚く街道坂の上に葬られ、
供養されました。
里の人達も、このことに深く心を痛め、誰いうとなく、きく丸の亡くなった
「坂」「稚児ヶ坂」と呼ぶようになったようです。

現在も「坂」は健在のようです。



付近のバス停名は、「稚児ヶ坂」です。



もうしばらく、旧白沢宿に向かうと、きく丸のなきがらを葬ったとされる
「五輪塔」「白沢地蔵堂」にあります。

その手前に「勝善神」の碑がありました。
「馬の神様」?みたいです。

 

「白沢地蔵堂」です。説明板もありました。

 

その「五輪塔」です。
文献によると、墓ではなく、供養塔らしいです。



ここよりこの坂をくだると、「旧白沢宿」です。



「旧白沢宿」をめざします。