すぐ近くの「新渡(にわたり)神社」に行ってみました。
先ずは、「お願い地蔵」です。
別名「うらな地蔵(仏)」と呼ばれているらしいです。
国道119号(日光街道)を日光方向に進み、道路より一段高くなった
歩道?の左側にありました。
赤い帽子と涎掛けのように赤い布が巻かれています。
手前には、饅頭のような型をした「石」が3個並んでいます。
「地蔵尊由来」があります。
この石佛は亨保十五年(1730)八大将軍吉宗公時代疫病が流行し住民が
苦しんだ時、地域の人々により石佛が作られ、人の体の悪い所と佛の同じ
所に赤い布を付け、お願いすると不思議に治ったと云う。
それ以来、この地蔵を「お願い地蔵」と呼ぶ。
と、書いてあります。
よく見ると、石でできた地蔵が、かなり風化が進んでいるようで、
まるで包帯を巻かれているようです。
けっこう新しそうな赤い布が巻かれています。
こちらが、饅頭型の石です。
いずれかを持ち上げて、軽く感じれば、願いが叶う、
らしいです。
周りには、「十九夜」等の塔があります。
「お願い地蔵」を後に日光方面に向かうと、
少し先の右側に「新渡(にわたり)神社」があります。
「鳥居」の手前は、広場のようになっていて、ベンチが置いてあります。
広場の右側には、「公民館」と「社務所」があります。
「拝殿」です。
「本殿」です。
「拝殿」の右側に「スズメバチの巣」を見つけました。
戸室(山)神社以来、2度目の発見です!
横には、「二十六夜塔」や「祠」があります。
帰り際に鳥居より拝殿方向を振り向くと、
「紙垂」が「拝殿」方向に風で揺れていました。(´⊙ω⊙`)!
ちなみに近くのバス停は、「上小池」です。
数百メートル先は、「日光市」です。
以上!
赤い帽子と涎掛けのように赤い布が巻かれています。
手前には、饅頭のような型をした「石」が3個並んでいます。
「地蔵尊由来」があります。
この石佛は亨保十五年(1730)八大将軍吉宗公時代疫病が流行し住民が
苦しんだ時、地域の人々により石佛が作られ、人の体の悪い所と佛の同じ
所に赤い布を付け、お願いすると不思議に治ったと云う。
それ以来、この地蔵を「お願い地蔵」と呼ぶ。
と、書いてあります。
よく見ると、石でできた地蔵が、かなり風化が進んでいるようで、
まるで包帯を巻かれているようです。
けっこう新しそうな赤い布が巻かれています。
こちらが、饅頭型の石です。
いずれかを持ち上げて、軽く感じれば、願いが叶う、
らしいです。
周りには、「十九夜」等の塔があります。
「お願い地蔵」を後に日光方面に向かうと、
少し先の右側に「新渡(にわたり)神社」があります。
「鳥居」の手前は、広場のようになっていて、ベンチが置いてあります。
広場の右側には、「公民館」と「社務所」があります。
「拝殿」です。
「本殿」です。
「拝殿」の右側に「スズメバチの巣」を見つけました。
戸室(山)神社以来、2度目の発見です!
横には、「二十六夜塔」や「祠」があります。
帰り際に鳥居より拝殿方向を振り向くと、
「紙垂」が「拝殿」方向に風で揺れていました。(´⊙ω⊙`)!
ちなみに近くのバス停は、「上小池」です。
数百メートル先は、「日光市」です。
以上!